2023年7月8日、渋谷シネクイントにて、映画「ドキュメント サニーデイ・サービス」を鑑賞することができた。その余韻に浸っている今、どうしても語っておきたいことがあり、酒を飲みながらキーボードを叩いている。備忘録も兼ねて、好きなことを書き連ねていきたいと思う。以下はほとんど、僕の独り言だ。
いきさつ
恐らくこの記事を最後まで読む人はサニーデイ・サービスのファン、もしくはサニーデイ・サービスに少なからず興味を持つ人しかいないと思うので、バンドについての紹介は割愛する。
サニーデイ・サービスのドキュメント映画が公開される、ということを知ったのは先月(6月)上旬ぐらいで、その瞬間、「これは絶対観たい!観なければ!」と思ったのだが、どうせ主要都市のミニシアターでしかやらないだろうということは容易に想像できたし、そのうち何かの媒体で観られたらいいだろう、ぐらいにしか考えていなかった。そんな矢先、奇跡的にも東京への出張が映画の公開と見事に重なり、トークショー&サイン会までやるということを知ったものだから、もうこれは行くしかないだろう、ということでほとんど衝動的にチケットを購入し、仕事の翌日に劇場に足を運ぶことになった。
映画の基本構成は2020年からの密着ドキュメントで、そこに関係者のインタビューを交えながら結成前夜から現在までのバンドの歩みを振り返っていくという内容だった。バンドの生い立ち~デビュー~ヒット~苦悩~解散~再結成~メンバーとの死別~コロナとの苦闘~新メンバーの加入までが、ライブ映像やMVをふんだんに使用しながら濃厚且つ簡潔にまとめられており、ファンにとって非常に見応えがあって満足度も高いものだったと思う。僕は劇中、何度も鳥肌が立ったし、目頭が熱くなった。
とはいえ恥ずかしいことに、僕はたかだかファン歴10年ほどの、サニーデイファンの中では“新参”と言える部類に属する人間である。彼らの楽曲の細かい部分について僕の拙い文章であーだこーだ語ったところで、きっと生粋の古参ファンからは一笑に付されるだろうし、映画のレビューなんてとても僕には上手に書けないから、そこは他の人にお任せする。 今回は、個人的な僕の思い出を一方的に書き留めるだけだ。
関西テレビ「日常」(2002?)でのサニーデイ・サービス
僕がサニーデイ・サービスを初めて聴いたのは2002年のことで、当時僕は高校生だった。「知った」のではなく、「聴いた」だけというのが実際のところで、その時僕はまだバンドの存在を認識していなかった。
たしか2002年だったと思うが、関西テレビで深夜に「日常」という番組が放送された。オムニバス形式のコメディードラマであり、吉本興業の当時の若手芸人が勢ぞろいで出演していた。中川家、バッファロー吾郎、ケンドーコバヤシ、フットボールアワー、ブラックマヨネーズ、友近、渡邊鐘、チュートリアル、野性爆弾、サバンナ、$10、次長課長、ビッキーズ、君と僕、という、当時「baseよしもと」で活躍していたメンバーである。今思えばもの凄く豪華な布陣であるが、この時はまだ中川家ぐらいしか全国区で名が売れていなかった。この番組を僕はVHSに録画しており、繰り返し何度も観ていた。今はデジタル化して保有している。
この「日常」は後に映画として2本製作されたのだが、オリジナルのこのTV版「日常」については今ネットで調べても詳細が出てこない、言わば「幻の作品」と化している。このTV版「日常」がまさに、僕とサニーデイ・サービスを繋いでくれた作品なのである。
映画版「日常」は曽我部恵一氏ソロの曲『blue』が主題歌として起用されているのだが、実はその前身のTV版「日常」において、サニーデイの曲が惜しみなく使用されていたことは、多くの人が知らないだろうと思う。1時間という短い作品の中で、『あじさい』から始まり、『サマーソルジャー』、『Now』、『虹の午後に』、『雨の土曜日』、『青春狂走曲』、『何処へ?』、『若者たち』、『真っ赤な太陽』、『恋におちたら』、『夜のメロディー』、『恋はいつも』、そして締めの『24時のブルース』まで、サニーデイの代表曲延べ13曲が断片的に使用されている。ディレクターか誰かがよっぽどサニーデイのファンだったんだろう、と思う。
当時僕はビートルズやらオアシスやらオフスプやらレッチリやらの洋楽ばかりを聴いており、邦楽事情に疎くサニーデイ・サービスも知らなかったのだが、この番組を観た時、上記の挿入歌が凄く良いと思ったことは今でも覚えている。ドラマの作風に、楽曲が何故かしっくりマッチしていたのである。この時もっと掘り下げて調べるとサニーデイに辿り着けたのだが、当時はネット黎明期だったこともあり情報が得られず、この「『日常』の挿入歌を歌っている人」が誰なのかを知らないまま陰鬱とした青春時代が過ぎて行った。 そして今から10年ほど前、久しぶりにTV版「日常」を再度観て、やはり挿入歌が素晴らしすぎて気になり、調べた結果、サニーデイに辿り着くことができたのである。
サニーデイ・サービスが映し出す「日常」
紹介した番組「日常」は、文字通り関西人の日常的風景をやや面白おかしく切り取って描写したコメディードラマなのだが、なぜここにサニーデイの音楽がピタッとハマるのか、ということを考えた時、僕はサニーデイの持つ最大の魅力がまさにそこに引き出されているのだと感じる。音楽が持つ偉大な力として、二次元的な記憶を脳内で三次元的に蘇らせ、映し出してくれるという点が挙げられると思うが、情景や空気感といったものを「音」で表現することにおいて、曽我部氏はずば抜けて能力が高いと僕は思っている。これは理論ではなく感覚的な話だ。曽我部氏が作る夏の曲は思いっきり夏らしさを感じさせるし、雨の曲は雨の情景が脳内ですぐさまイメージできる。夜の歌を歌えば目の前に夜の世界が開けるし、朝の曲を奏でると窓から射し込む朝日が見えてくる。喜び、悲しみ、快楽、不安、慈しみといった感情もエフェクトやコード進行やテンポなどからひしひしと伝わってくる。「音」を駆使した表現技法が天才的に巧みなのである。 だからこそ、僕たちの「日常」を音楽で表す時、サニーデイのサウンドは絶妙にハマるのだと思うし、サニーデイの曲を聴くと僕たちは僕たちの青春時代や様々な思い出を呼び覚まされ、「日常」に想いを馳せるのではないだろうか。
サニーデイ・サービスよ永遠に
僕は年齢的にはサニーデイファンの中央値よりやや下の世代になると思うが、二十歳前後の頃に彼らを知り、彼らの音楽を聴けていたらな、と今さらながらもの凄く悔やんでいる。リアルタイムで彼らと同時代に青春を過ごしたファンが羨ましいと心底思う。僕は実際に「そっちはどうだ?こっちはどうにもならん」というやりとりを友人としていたし、擦り切れたジーンズのようにつまらない時があったし、若さを弄んでずっと泣いていたし、デートに行く前には長い髪を風に任せ僕を待つ相手を想像したりしていた。そして、いつだって道を間違って見当外れの場所に辿り着いていた。そんな時代にサニーデイの音楽があるなんて、最高じゃないか。
なんだか、書いていくうちに言いたいことがどんどん溢れてきてまとまらなくなりそうなので、この辺でやめておきたいと思う。(酔ってるし)
とにかく僕は、サニーデイ・サービスというバンドが大好きである。
映画の中で、「若者に伝えたいことは?」という質問に、曽我部氏が「やりたいことをやった方が良い」というような返答をする場面があって、それがすごく印象的だった。曽我部氏の言葉には、重みがある。僕はもう若者ではないけれど、これからもやりたいことをできるだけやっていこうと思うし、今も書きたいことをやっぱり書いておこうと思ってここまでダラダラ語っている。
この映画を映画館で観ることができて、メンバーのサインも貰えて、本当に特別な、思い出に残る一日となった。「応援しています!」という僕の言葉に「ありがとう~」と答えてくれた曽我部氏の笑顔は、一生忘れない。
多分僕は、死ぬまで彼らの音楽に陶酔し続けるだろう。
コメント