こんにちは!
僕はこれまで高校野球の試合を数えきれないほど現地観戦してきており、当然ながらそこに出場していてその後にプロ入りした選手も数えきれないほどいるのですが、今回はそんな選手たちの中でも、『観戦当時全く認識しておらず、観戦後も印象に残っていない』ながら、現在では球界を代表する存在となった有名選手たちを勝手にランキング形式で紹介したいと思います。どうぞ宜しくお付き合いください。
概要
現在プロの世界で活躍している選手たちは、大きく分けて3種類に分類できます。それは、高校時代から既に世間の注目を浴びていた選手と、甲子園に出場したものの、そこまで名を轟かせなかった選手、そして、甲子園とは縁がなく、無名だった選手の3パターンです。今回、僕が取り上げるのは、甲子園で観戦した試合に出場していたものの、観戦当時全く認識しておらず、観戦後も印象に残らなかった選手のうち、その後プロの世界で大成して有名になった選手です。実は甲子園で観ていたことを後で知って驚いた、というパターンですね。僕の中では、甲子園に出場してプロに行った選手の大半がこのパターンに当てはまる気がします。
今回はそういった選手たちの中でも、特に驚いた選手ベスト3を発表します。と言っても、今でこそ僕は高校球児個人にも着目して高校野球を楽しむようになりましたが、昔は個人にあまり興味がなく、あくまでチームスポーツとしての高校野球を楽しんでいたため、コアなファンに比べると当時の選手を知らなすぎだった可能性があります。これはあくまで僕自身が驚いた完全に僕の独断ランキングですので、「いやいや当時から有名やったやん!」、「なんで覚えてないん?」等のご意見も甘んじて受け入れます(笑)
第3位 中村晃(帝京)
第3位は、レギュラー争いの激しい常勝軍団ソフトバンクホークスで長年レギュラーとして活躍し、日本代表にも選出された経験のある中村晃選手です。言わずと知れた名選手ですね。
中村選手を観ていたのは、2007年8月19日、第89回夏の選手権準々決勝、帝京vs佐賀北の試合です。この試合は、高校野球ファンなら覚えている方も多いかと思います。佐賀の”普通の”公立校が、東の強豪・帝京を相手に延長13回の死闘の末、4x-3のサヨナラ勝ちを収めた劇的な試合でした。
この試合、中村選手は4番ファーストでフル出場し、3打数3安打と大活躍しています。当時、中村選手の実力は抜きんでていたようで、野球エリートが集う強豪・帝京において、なんと1年秋から不動の4番として君臨しており、2年夏から3季連続で甲子園に出場。高校通算本塁打は60本、この3年夏の甲子園では15打数7安打という成績を残しています。僕は当時、選手個人に注目して高校野球を観ていなかったのですが、恐らく僕が知らなかっただけで、高校野球界ではかなり有名だったのだと思います。
この年、中村選手はドラフト3位でソフトバンクに入団しました。なんで知らんかったんや、という感じですね(笑)
ちなみにこの試合の帝京の先発は、後に中日へ入団した高島祥平(当時2年)であり、ショートを守っていたのは昨年プロを引退した元日ハムの杉谷拳士(2年)でした。当然、僕はそれも後で知りました(笑)
第2位 戸郷翔征(聖心ウルスラ学園)
第2位は、読売ジャイアンツの戸郷翔征選手です。戸郷選手と言えば、今や巨人軍のエース格としてプロ野球界でもかなりの存在感を放っており、今年のWBCでも侍ジャパンの優勝メンバーに名を連ねた、セリーグを代表する好投手ですね。
戸郷選手を観ていたのは、2017年、第99回夏の選手権です。8月10日、1回戦の対早稲田佐賀戦では9回を完投して被安打8、失点2と好投し、チームも勝利しました。続く8月16日の2回戦、「聖・聖対決」として少し話題になった対聖光学院戦では、7回1/3を投げて被安打10、失点5で敗退しています。僕はこの2試合とも現地で観戦しており、試合を観たことも覚えているのですが、戸郷選手のことは全く印象に残っていませんでした。
戸郷選手は聖心ウルスラ学園で1年秋からベンチ入りしていたそうですが、甲子園に出場したのはこの大会のみで、3年時は宮崎県大会で敗退しています。とはいえ、2年夏に既にエースナンバーを付け、チームを甲子園に導く活躍をしていたことから、宮崎では有名な投手だったのだと思われます。また、3年時の8月に行われたU-18日本代表の壮行試合では宮崎県選抜として登板し、5回1/3を投げて9奪三振を記録し、ドラフトまでに10球団から調査書が届いていたそうです。全く知りませんでした(笑)
その後、戸郷選手は2018年のドラフト6位で巨人に入団し、現在に至っています。
第1位 村上宗隆(九州学院)
栄えある第1位は、今や球界の顔となった日本の4番、ヤクルトスワローズの村上宗隆選手です。この方については、もはや説明は不要ですね。今年のWBC準決勝のメキシコ戦では、見事に逆転サヨナラタイムリーを放って日本を救ってくれました。
村上選手を観ていたのは、2015年8月12日、第97回夏の選手権2回戦の九州学院vs遊学館の試合でした。この年の夏は早稲田実業の怪物1年生・清宮のフィーバーで非常に盛り上がっていたのですが、実は清宮の陰に隠れるようにして、同じく1年生の村上選手が甲子園に出場しており、僕はその試合を観ていたのです。九州学院と言えば熊本県の強豪校として有名ですが、その中で村上選手は1年生ながら4番を任されており、熊本大会では6試合で打率4割超え、1本塁打、8打点の成績を残していたそうです。当時から既に実力が抜きんでており、将来有望な選手だったことが窺えますね。
そんな期待の村上選手ですが、この試合では良い所なく、4打数無安打に終わります。チームも3-5で敗れ、初戦で姿を消すことになりました。その後村上選手は2年夏、3年夏時ともに熊本大会の決勝まで進みますが、当時全国レベルの強さを誇っていた秀岳館に行く手を阻まれ、甲子園出場は叶わず。結局、高校時代に甲子園でプレーしたのはこの1年夏時の1試合のみでした。今考えるともの凄く貴重な試合を僕は観ていたのですが、村上選手のことは全く知らず、有名になってから後追いでこの試合に出ていたことを知りました。
ちなみにこの試合、九州学院は現・横浜の伊勢大夢(3年)、遊学館は現・楽天の小孫竜二(3年)の両投手が完投しており、さらに遊学館は現・巨人育成の保科広一(2年)が代打で出場し、控え投手には現・中日の石森大誠(3年)がいました。彼らのことも、全く覚えていません(笑)
おわりに
以上、「実は甲子園で観ていた有名選手驚きランキング」でした!これは2023年現在での独断ランキングですので、今後も僕が認識していないまま大成し、「あの時おったんや!?」と驚くような選手はどんどん出てくることでしょう。こういう驚きを楽しむのも、高校野球の醍醐味の一つだと言えます。
これからも未来のスターを見逃さないよう、可能な限り多くの試合を観戦していきたいと思います!
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